『田園の詩』NO.127 「貝掘り」(2001.4.17)


 「まだ小さいけれど、主人が掘ってきたもののお裾分けヨ」といって、よくお茶を飲みに
やって来る女房の友達のMさんがアサリ貝を届けてくれました。

 アサリ貝はこれからが旬で、店に並び始めたのを横目で見て、そろそろ買って食べよう
か、それとも時間が取れれば掘りに行こうかと思っていた矢先なので、誠にタイミングの
良い戴き物でした。まだ身の太りが充分ではなかったものの、みそ汁仕立てのアサリの味
は満点でした。

 以前は、国東半島の海岸線は何処でも貝掘りができました。母方の実家が海の近くだっ
たので、春・夏の休みに遊びに行った時、近所の子供たちといつも貝掘りに出掛けたもの
です。

 子供達は夕飯の汁にする分を掘ることを毎日のノルマにさせられていました。おかずに
する魚まで釣ってくるように言い渡されている子供もいました。貝掘りや魚釣りは、その日
の食料を得る大切な仕事でした。とはいえ、海の幸は豊富で、苦労することなく、また短
時間でノルマは果たせました。

 まだテレビもない時代のこと、子供達は遊びの一部として貝掘りや魚釣りを楽しんでいま
した。そんな貧しくも豊かな漁村の生活が、私の子供の頃にはありました。


      
       海が引いた後、前日に餌を入れて積んでおいた石を除けると、
      ウナギなどがおり、ハサミで捕まえました。毎日同じことを繰り返し
      楽しんだ記憶があります。今も、潮の干満の影響を受ける河口で見る
      ことができます。漁はしてないようです。
               (豊後高田市の市役所前の桂川で  10.8.28写)


 ところが、今、国東の海岸では、気軽に貝を掘ることができなくなりました。何故か貝が
いなくなったのと、少し残っている場所は管理されていて、お金を払わねば掘らせてくれま
せん。Mさんのご主人も、すぐに管理人がやって来て貝掘り料金を請求されたようです。

 私としては、たとえ僅かな額であっても、お金を払って貝掘りをする気にはなりません。
元を取り返さねば…などという根性が出てくるのが嫌だからです。海や山の幸はタダで
戴けるからこそ有り難いのです。自ずと感謝の念もわいてきます。

 国東半島の起伏に富んだ海岸線にはまだまだ穴場があります。貝の身が太った頃に、
少し戴きに行こうと思っています。

 「坊さんが貝掘り、そんな殺生なことを…」といわないで下さい。縄文の時代から貝を
採って来たのですから。                   (住職・筆工)

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